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勤
投稿日時 2006-11-23 16:20:00
執筆者 sanyasou
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今日は山野草公園とは別の場所へ出かけ、ある杉林の間伐作業を行いました。
先日の暴風で根元から倒され、周囲の木に引っ掛かった危険な状態の「かかり木」を外すと言うものでした。
50年近い樹齢で幹周りも公園のそれと比べ一回り太く、生木のために水分が抜けておらず、ずっしりとした手ごたえでした。
わっかロープを使い数人がかりで、やっとの思いで林から運び出しました。
作業も終わる頃に、ふと”昔の人はこんな煩わしさと日常的に付き合ってきたのだよなぁ”と思いました。
こちらの都合などお構いなしに否応なしに起こってくる、自然と人の生活との関わり。 それらを放棄する事で手にした「豊かさ」?「快適さ」?
既に生まれたときから、身近なところで本物の自然と接する機会が少ないのが実情でしょう。
自然を長年に渡って観察し、手を入れ、その反応を辛抱強く見て付き合い方を変えるといったことを延々繰り返す・・そんな発想そのものが世代が変わる毎に失せていくのは仕方ないのかもしれません。
子供の頃ある時期まで、母屋の外の風呂場で薪をくべていた事を覚えています。 今でも独特の「こげくさい匂い」が記憶に残っている事に気が付き、懐かしく思うとともに自分で驚いています。
庭木に登るとか、薪を割るとか、そんな機会が急速に身近なところから減っていくのも無理からぬ事と思います。
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