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山野草日記 - 最新エントリ
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最新エントリ
2006/12/05
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (11:26 am)
春に綺麗な花を咲かす桜の樹。
 枝の表面には幾種類もの苔が花の様に生え、茸も同居しています。

幹から直接芽を出している樹。
2006/12/04
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (2:26 pm)
今年あらたに整備した第2群生地(仮)がほぼ形になってきた事もあり、見学者の方に使っていただくパンフレットを改訂しています。

 また時期尚早では有りますが、撮りためた拙い写真もお正月期間を利用して少し展示してみようと思いますので、お時間のある方はご覧下さい。
2006/12/03
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (12:54 pm)
今年一年を思うと、日々駆け足、めまぐるしく過ぎてとても短く感じられます。

 既に泉ヶ岳など山岳頂部では雪が降っていたようですが、ここ大市山でも昼頃からちらちらと雪が降り始めました。

 これから大市山は深い雪にすっぽり覆われ暫しの沈黙に入り、雪の下ではこの時期にしかなし得ない営みが見えないところで淡々と行われる事でしょう。

 晩秋の頃より動き出すという早春季植物たちも、少しずつ地上を目指しているのかもしれません。

 野ウサギやカモシカなど野生動物たちは姿こそなかなか見せてはくれませんが、雪の上に確かな痕跡を残していってくれます。

 この冬こそ、彼らに会ってみたい。
2006/12/02
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (11:03 am)
広瀬川の清流を守る会主催 : 河川清掃&焼き芋大会の告知です。

12月9日(土)午前10時から仙台市青葉区長町・広瀬橋周辺の定期清掃を実施し終了後、恒例の焼き芋大会を行います。

 今年最後の清掃となります、団体参加は事前連絡を。参加費無料です。

 ※長靴・軍手等ご持参ください! 駐車スペース有り。

 ⇒http://www.hirosegawa.com/
2006/12/01
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (11:21 am)
夜明け前の山野草公園。

 頭上を見上げると数多の星々が瞬いています。

 流星が一筋の光の帯を放ち、消え去っていくのを視界に捉えました。

 一瞬の出来事。

 居合わせた偶然を素直に嬉しく思いました。
2006/11/30
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (3:35 pm)
第2群生地に計14箇所ほどベンチを設けました。
2006/11/29
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (1:39 pm)
早いもので、このような形でブログを書き始めて明日で一年が経ちます。

 読んで下さる方に感謝です。m(__)m


植物の事を何も知らなかったおかげで、どんな些細と思われるような出来事も新鮮に映りました。

 逆に知識の豊富な方にとっては、何をいまさらと思われたかもしれません..? 

 山野草日記に何をどこまで書いたらよいものか・・分けるべきなのかもしれませんが、敢えて六ヶ所のこともここで取り上げています。

 全てはどこかで繋がっているのではないか、と感じるからです。

 実際、大市山を流れ下った水は広瀬川を通って海へと注いでいるのです。


どんなに綺麗な自然風景が目の前に広がっていても、他方で目に見えない破綻がひたひたと忍び寄ってきているのかと思うと・・それらが虚構に思え白々しくて心から楽しめないような気がしています。
2006/11/28
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (1:22 pm)
雪が降る前に第一群生地・杜の小径の手入れをという事で、チップが薄くなった場所に敷き足したり、いつのまにか目立ってきた笹を刈ったりしています。

 笹は年に2回程度刈り取らないと広範囲に繁茂し地上のみならず地下をも占有してしまう、とある自然観察員の方からアドバイスを頂きました。

 やぶが払われ林床が明るくなる・・それだけで別世界というか清々しい印象になるものです。
 
2006/11/26
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (4:40 pm)
森で風景を眺めていて、樹木の形態が別の何かに見えることはありませんか。

 そんな自然界の偶然が織り成す光景を探し、例えば人の姿をした神秘的な樹木をテーマにして写真集にまとめる写真家も居られるようです。

 たった一枚の写真から伝わってくる“たたずまい”。

 気の遠くなるような長い年月や風雪、水の一滴一滴までもが凝縮されているようで ・・ときに見る者を圧倒します。

 何を感じ取るかはそのひと次第。
2006/11/23
カテゴリ: 山野草日記 : 

執筆者: sanyasou (4:20 pm)
今日は山野草公園とは別の場所へ出かけ、ある杉林の間伐作業を行いました。

 先日の暴風で根元から倒され、周囲の木に引っ掛かった危険な状態の「かかり木」を外すと言うものでした。

 50年近い樹齢で幹周りも公園のそれと比べ一回り太く、生木のために水分が抜けておらず、ずっしりとした手ごたえでした。

 わっかロープを使い数人がかりで、やっとの思いで林から運び出しました。
 

作業も終わる頃に、ふと”昔の人はこんな煩わしさと日常的に付き合ってきたのだよなぁ”と思いました。

 こちらの都合などお構いなしに否応なしに起こってくる、自然と人の生活との関わり。
 それらを放棄する事で手にした「豊かさ」?「快適さ」?


既に生まれたときから、身近なところで本物の自然と接する機会が少ないのが実情でしょう。

 自然を長年に渡って観察し、手を入れ、その反応を辛抱強く見て付き合い方を変えるといったことを延々繰り返す・・そんな発想そのものが世代が変わる毎に失せていくのは仕方ないのかもしれません。


 子供の頃ある時期まで、母屋の外の風呂場で薪をくべていた事を覚えています。
 
 今でも独特の「こげくさい匂い」が記憶に残っている事に気が付き、懐かしく思うとともに自分で驚いています。

 庭木に登るとか、薪を割るとか、そんな機会が急速に身近なところから減っていくのも無理からぬ事と思います。

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